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2010年 09月 03日
ACCでは毎年春に、旧ユーゴ圏へのスタディ・ツアーを実施してきました。9回目になる今年も、セルビア共和国とボスニア・ヘルツェゴビナに4名が赴きました。プログラムはACCの姉妹団体Zdravo da steの全面的協力を得て行われますが、「おばあさんの手」参加者の難民のおばあさん達や難民センターの子どもたちとの交流など、現地の人々との出会いの中で参加者が感じたことのあれこれを、感想文の抜粋からご紹介させて頂きます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 優しさはもちろんですが、セルビアやボスニアの人々の強さを感じました。生きるための生活をしたことのない私は、彼女、彼らの生活の大変さは分かりません。私は楽しむ為にしか生きたことが無いから。ただ、生きるための生活の中で、自分の楽しみや存在意義を探している人々には、着飾っている私たちには無い輝きや重さがあって、とても自分の存在を薄っぺらに感じてしまいました。「生きるため」の生活の中にも楽しみや人とのふれあいの中で自分を認識することはとても大切だと感じました。むしろ、それらが無ければ生きていく意味を感じないのかもしれないし、生きていて辛いだけかもしれない。 (中略) 私たち日本人である必要も無いかもしれません。誰かが自分たちに会いに来た、関心をもってくれているという感覚をお互いに共有することがこの活動の最大の目的ではないだろうか。と思います。何分、何時間一緒に活動したかではなく、行く=会うということが大切だと感じられた事が、今回の旅で一番印象的でした。 (井上麻由美 女子美術大学3年) ~~~~~~~~~~~~~~~~ ベオグラードから車で1時間半ほどのスメデレボのいう街の郊外にあるラーリャ小学校、子どもたちの約半数は、オーラ難民センターから通っていて、後は近くの農家の子どもたちとのことでした。私たちが校舎に入っていきますと、歓声が聞こえてきて、その熱気に圧倒されました。私たちの訪問をずっと待っていてくれたこと、そのために掃除をし、親御さんたちはお菓子を焼いてくれたこと。子どもたちとの交流を終えた後で、校長先生たちと話をさせていただきましたが、そのテーブルには食べきれないほどのケーキや焼き菓子が並んでいました。校長先生によると、どんなにか子どもたちが今日を心待ちにしていたか、またこのような短い訪問に意義があるのかという質問にも丁寧に、子どもたちは確実に人とのふれあいのなかで、新しい体験の中で変わっていくと実例を出してお話くださいました。子どもたちの笑い声や、お菓子の山をみて、日本では久しく感じたことのなかった、その温かな思いが伝わってきて、不覚にも涙がこぼれました。 (中略) そしてボスニアのブラゴエさん、彼がいなければルドへの訪問は実現しなかったとおもいます。またボスニア滞在中、運転してくれたブラゴエさんの教え子であるドゥシャン。 ブラゴエさんが、最後に私たちに伝えてくれた言葉として、「昨年、来年日本の生徒の生活ぶりをお知らせしますと言われていたが、信じていなかったと思う。それがこうして本当に実現したということは、信じることが出来るのだと、信じていいのだということを子どもたちの心に刻み付けた」というものでした。 内田英子(ACC理事) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ オーラ難民センターでのワークショップの後の話し合いは、一転してとてもシリアスなものだった。内戦開始から約20年の月日が流れ、小競り合いが生じるにしても、それが終結してからもうかなりの時間が経過しているのだが、それでもオーラのような施設が未だ存在しているということ、そこから出られないということ、それがそこに暮らす人々にとってどのような意味を持っているのかということについて、様々な話を聞くことができた。皆が一様に口にしていたのは「教育を受けて、ここから出て行きたい」、「仕事を探しているが、なかなか見つからない」、「ここで生活し続けることは、とても大変だ」ということで、そのどれもが切迫した現実感をもって語られた。難民生活を送っている人は、元々は旧ユーゴスラビアの別の場所に生活の基盤を置いていて、連邦が崩壊したが故にそれを失ったという経験があるわけで、今からそこに帰ることは出来ない。何かを失うということは、非常に心に大きなダメージをもたらす。さらにそれが理由で難民センターという抑圧的な環境に生活することになって、それでもそこで諦めきるのではなく、何とか自分たちを良くしていきたいという姿勢は、彼らの持つ生命への意思の現れだと感じた。 高橋真人 (早稲田大学教育学部3年) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 難民センターに住む青年たち、ミロシュ、サダマス、ダンロン、サネア、ジバナ、ユーゴスラ、ダニロの話を聞かせてもらった。ワークショップに参加した子どもたちは、ほとんどが難民センターで生まれ育ったためか、明るく元気だった一方で、紛争を実際に経験して難民センターでの生活を余儀なくされている彼らにはどことなく影があった。 「今一番不安なことは何か。また、どうしたらその不安から解放されると思うか。」という質問をすると、彼らは口々に「仕事がないこと、あったとしてもパートタイムの肉体労働しかないことが不安。両親と自分たちに仕事があって、経済的なことを気にせずに教育を受けられることで今の状況から抜け出ることができると思う。」と切実で現実的な不安について語った。「それでも私たちは生きていかなければならないのです」と話し合いの最後にサーシャさんが言った言葉が、胸に焼きついて離れなかった。 (中略) 久しぶりの再会に、おばあさんたちは温かく私たちを迎えてくれた。7年も経っているので多少のメンバーの入れ替わりもあったが、私を覚えていてくれていた人もいて、強く抱きしめてくれた。そして、彼女たちとの話し合いの場面では、「コソボから逃げてきた」ということは口にしても、帰れない故郷を思い嘆く女性はいなかった。むしろ、「日本との交流、編み物のプログラムを楽しみにしている」と言ってくれる女性ばかりだった。故郷を追われたことを慣れない土地で嘆くばかりでなく、その悲しみを同じ空間に集まり、悲しいことも楽しいことも他愛もないことも語り合いながら、一緒に編み物をすることに「おばあさんの手」の意義があるのではないかと感じた。 森泉尚子 (ACC Young Hopes)
by hopeacc
| 2010-09-03 23:54
| ACCニュース
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