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2011年 03月 20日
アルバニア系勢力とセルビア系勢力が戦った、1999年のコソボ紛争から10年以上経たコソボです。また2008年2月にはアルバニア系勢力による独立宣言もなされ、日本を含む75の国連加盟国がその独立を承認しています。次々に起きる新たな紛争の中で、コソボ紛争に関する私達の記憶も薄れている実状は否めないでしょう。しかし実際には、アルバニア系住民とセルビア系住民との確執は未だに続いています。人口的に圧倒的少数派のセルビア人は、陸の孤島のようにコソボ内に点在するエンクレーブと呼ばれる飛び地で、閉塞的な暮らしを余儀なくされています。
2月末、ACCはコソボのミトロヴィッツァ市の一般に「North-北側」と呼ばれる地域を訪れ、そこの大学で勉学に励むセルビア系の若者たちの話を聞く機会を持ちました。今、コソボに残り勉強しているセルビア人の学生たちはどのような思いでいるのか、お伝えしたいと思います。 今振り返る、紛争の日々はどうだったのでしょうか。 ミトロヴィッツァで生まれたヨバンは今24歳です。彼が私達のインタビューで真っ先に口にしたのは、「自分の心も魂もコソボにあると思っている。」という言葉でした。お父さんがミトロヴィッツァに紛争前まであった大きな金属工業の会社で仕事をしていたという彼は、今はアルバニア人地域となった「South-南側」のアパートで育ちました。彼にとってのコソボ紛争を象徴する記憶があります。それは99年の紛争時、3月24日から6月10日まで続いたNATO空爆の中を一時的にセルビア本土に避難する時でした。避難行を共にしていた彼の伯父さんが、コソボの境界を抜ける寸前に車を降り、その手で土を掴み、くちづけて胸のポケットにしまった光景です。それが1999年4月19日の出来事だったと鮮明に覚えているヨバンは、その記憶故に、「民族和解」という言葉は理念としてわかるが、心がまだ受け付けられないと語りました。また、ヨバンが今、まだ子どもだった紛争当時を振り返ってこれまでの道のりを思う時、一番強く心に浮かぶのは「自分には子ども時代がなかった」という思いだそうです。24時間空爆の恐怖に曝され、コソボに戻ってきてからも、両民族間の緊張状態を常に意識しながらの日々、紛争と共に子ども時代は終わったと語りました。それでもコソボの地を愛している、この地を去るつもりはないというヨバンの表情はかたく、強く、悲しく、また決意に満ちていて、心に深く残りました。 紛争が終わって10年以上を経たコソボで生きる青年の思いです。ひとの心が解けて、癒される道のりの長さを思わずにいられません。 一枚目の写真はミトロビッツァ市にある紛争犠牲者の方の慰霊碑です 2枚目の写真はミトロビッツァ市におけるヒアリングの様子です
by hopeacc
| 2011-03-20 21:21
| ACCニュース
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