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2012年 03月 25日
ベオグラードから東に40kmほど離れたスメデレボ市。その町外れにあるラーリャ地区、そこにオーラ難民センターがあります。数年前まで500人以上といわれた居住者は、2010年9月には461人、そしてこの2月の聴き取りでは279人、123家族になりました。少しずつ、人々は難民センターを出て、アパートや戸建て住宅での暮らしを始めています。これは難民センター閉鎖を進めるセルビア政府の政策の影響もありますが、センターを出て「普通の暮らし」がしたいという住民の願いと、それを支える国際諸機関、NGOなどの支援の結果でもあります。しかし、出て行った先での生活にはまた大きな問題が待ち構えています。これについては、またの機会に少しずつご報告致します。
現在オーラ難民センターで生活する279人のうち、251人がコソボから、28人がボスニアやクロアチアからの難民です。ボスニア、クロアチアからの難民が発生したユーゴ紛争は95年に終結し、コソボ紛争は99年ですから、どちらも10年以上、場合によっては20年近い年月をこの難民センターで送っていることになり、当然のことながらセンターで生まれ育った子どもたちも数多くいるのです。正規の職業についている人は皆無、仕事があっても臨時の肉体労働と言われる難民センターの就業状況ですから、生活はとても厳しいものです。コソボからの国内避難民については、コソボで正規の職業についていた人たちには政府から8,500ディナール(邦貨約8,500円)の補償が支給されていますが、それではとても生活できません。UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)、赤十字、地元の福祉事務所、そして近隣に大きな工場を持つU.S.Steel社などからの援助が頼りです。中でも、一日一人当たりパン一個、冷たい食事、温かい食事各一回が支給される食糧援助があってこそ、何とか生活が成り立つのです。援助団体からは衣類の支援がありますが、オーラ担当のセルビア政府難民局の担当者によれば、この7ヶ月はその援助も途絶えていて、育ち盛りの子どもたちの衣類は住民同士が融通し合ってまかなっているということでした。これが紛争から長い月日が経過した現在のオーラ難民センターでの暮らしです。そして、このような環境で、子どもが育った先には何があるのでしょうか。大学まで行く子どもは殆どおらず、男の子ならば肉体労働など、女の子に顕著に見られるのは若年結婚ということでした。 ACCのJICA草の根支援事業で対象となる、オーラ難民センターの子どもたちは、こうした環境で生まれ育ちました。これから、オーラ難民センターの子どもたちの様子を、この「JICA草の根通信」で折にふれて皆さまにお伝えしたいと思います。
by hopeacc
| 2012-03-25 18:45
| JICA草の根通信
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